文京区在勤人 吉谷さんとの鼎談

無欲が勝利につながった文京区を、在勤40年の音羽地域活動センターの吉谷所長と語る

僕が勤め始めたころは、東京ドームは後楽園球場と呼ばれていて、ジャンボプールなんかがあったんですよ。区役所も4階建てでした。

―そう話し始めた吉谷所長が文京区役所に勤め始めたのは1975年。在勤40年にもなる音羽地域活動センターの吉谷所長と文京区在住の父親2人が文京区について語りました。

浅井:今と昔では文京区の街並みは変わりましたか?

吉谷:40年で特に音羽通りは変わったね。超高層の建物はなくて、あっても3,4階だったかな。間口ももっと狭かったんじゃないかな。有楽町線も通ってなかったから拡張した時に変えたのかな。

久須美:都市計画で大きく変わったんですね。

浅井:観光目線からすると面白くないところになってしまいましたかね…。昔は都電も走っていましたよね。

吉谷:そうだね。それでも、音羽の雰囲気は今でも良いと思う。目白台とか閑静だし。緑も多くて、江戸川公園や椿山荘。下町、地場、みんな一緒に生きている感覚があって住みやすいとこだなと感じる。

久須美:共存しているから多様性があるんですね。

浅井:地域との関係性はいかがでしょう。

吉谷:町会のお祭りや音羽青年会などの子ども祭りの時にタイアップしている。地元の人は「もっと音羽通りを活性化させたい」と意気込んでいるよ。文京区で生まれ育った人は出ていかない傾向もあるのかな。

久須美:文京区出身の保護者の方も多い気がします。交通の利便性も高く住みやすいですし。

吉谷:教育レベルも高くて、保護者も教育熱心!子育てするなら文京区が一番ですよ。街の行事に家族揃って参加してくれるのがいいよね。MITAMIYO!!をやることで、もっと街も好きになってくれれば。

久須美:肥後細川庭園を中心にして、施設や民間企業も互いに連携して地域を盛り上げようとしていますよね。

浅井:MITAMIYO!!の活動をどう思いますか?

吉谷:いいと思う。まずは街を知って、自分の住んでいる場所に愛着が生まれることで、街に貢献してくれるようになりますね。

久須美:行政にとっても地域のことを知っている人が増えることは活動しやすくなるということですね。

吉谷:それに、子ども達の目線なのがいいよね、だいたい大人が取材すると固くなっちゃうから、この雰囲気の記事はないと思う。文京区の他の地域の取材も楽しみにしています。

音羽地域活動センター所長 吉谷太一より

新・地域活動センター(音羽1-22-14)が、旧福祉センターがあった場所に移動します。部屋数も増え、ふれあいサロンという新しい試みもスタート予定。みんなの協力の輪が広がっていき、地域がもっと元気になってくれればと思います。

 

 

久須美 龍太 文京区在住の2児の父。MITAMIYO!!のアドバイザー。

 

浅井 由剛 文京区在住の3児の父。

MITAMIYO!!の活動をするクリエイターチーム カラフルの代表