肥後細川庭園

現在の肥後細川庭園

日本庭園は、どれくらいきれいなのか。答えは言葉では表せない。今回取材した肥後細川庭園は、正面から入ると目の前にクローズアップされるのは、大きな池、高さがきれいにそろった芝生など。このきれいな光景は、区の人がきちんと整備していたから、見られる光景だ。肥後細川庭園は、一時木がたくさんはえて、草もぼうぼうだった。しかし、区の人の協力があり、きれいな日本庭園らしい明るさを取りもどした。今は、そのきれいさ、明るさを守るため、毎日手入れをしている。大きい池はわき水で、昔から変わらない。

そもそも肥後細川庭園とは、肥後熊本54万石の藩主細川の下屋敷(※1)として使われていた所だ。第二次世界大戦後、幾度となく所有者が変わり、その後、昭和36年に都立公園として開園した後に、昭和50年、文京区に移管されて現在に至っている。名前は今年3月に「新江戸公園」から改名された。

 

美しい庭園

明治27年~28年頃に、肥後細川庭園をえがいた絵がある。その絵と今の景色がほとんど同じなのだ。できるだけ昔の景色をさいげんするために、庭の絵を元にしてできるだけ細かい場所を調整して元のすがたをとりもどした。だから、肥後細川庭園は、昔ながらの日本庭園が見られる。そこが肥後細川庭園のとてもいいところだ。

庭にはいろいろな植物があり中でもオススメは、江戸時代から品種改良を重ねてきた門外不出(※2)の肥後六花だ。この特別な花は、江戸時代から品種改良を重ねてきた花だそう。そのうちの肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後山茶花の4つは庭園で見られる。

 

大正から変わらない松聲閣

松聲閣とは、細川家の下屋敷または学問所として大正時代に建てられた建物だ。去年1月にリニューアルオープンしたが、昔にできるだけ似せるために、少しゆがんだ窓ガラスや、おくの階段は大正に建てられてから、一度も手をくわえたりしていない。つまり大正から変わらないことに、ぼくはおどろいた。部屋の名前は肥後六花にちなんで名づけられている。

 

肥後細川庭園はすごかった

このような、きれいさ、明るさ、そして門外不出の花と、庭園の荒れていたものをなおして、そのきれいさをたもとうとしている努力のおかげで、肥後細川庭園はできていると思った。熊本の板状のおかし「かせいた」と抹茶が500円で食べられるそうだ。ぜひ食べてみてください。

※1…下屋敷とは、仕事で出かけた時などに泊まるべっそうのようなもの

※2…他のだれにも方法を教えないこと。ひみつ

取材/鷹之介・悠仁・創冴・惺那・ここ音

文/鷹之介・創冴 文責/木村 写真/鷹之介・創冴・ここ音

 

肥後細川庭園・松聲閣

文京区目白台1-1-22

☎03-3941-2010