インターネットが進化して(近年はSNSも発達して)、「伝える」ことは技術としてとても簡単になりました。自分が訴えたいこともネットに載せれば数千人、数万人の人たちに届けることが(しかも海や国境を越えて!)できる時代になりました。
でも悩ましいのは、それは技術的に“できるかもしれない”時代になっただけ。それらが本当に“伝えたい人に伝わっている”かどうかは、実は怪しい。もしかしたら、情報はただ単純に量だけが増えて、そのほとんどは一方通行なのかもしれません。はたして、それって「伝える」ことになってる?
「伝える」にはまず「誰に、何を伝えたいか?」と、伝えようとしている張本人(つまり、君たち)が自覚し、一緒に伝えようとしている仲間と意思を共有し、「取材」する相手にその主旨を理解してもらわないと何も始まりません。誰にも共有せず、誰にも「取材」しなければ、それは単なる“独り言”。誰も興味なんて持ってくれません。
誰でも聞くようなことを真似て質問しても、答えてくれる人にとっては退屈なだけ。もちろん質問するだけならメールを一通送れば済んでしまうかもしれないけど、それに答えてくれる人の性格や息遣い、本心は直接話してみないと絶対にわからない。だから、しっかりした準備は必要。答えてくれる人の過去の発言や記事、プロフィール――インターネットってそういうときには重宝するね。ウソも多いけど!――を予習する。そんなことを繰り返してようやく、知りたいことが見えてきたら、きっとすごい感動です。いや、正確に言うとそれって「知りたいと思っていたことがわかった」んじゃなくて、「知りたいと思っていたこと以上のことを人の話から発見した!」ってこと。すると、自分の感動だけで収めていたらもったいない、もっとたくさんの人に知ってもらったり、考えてもらったら、もっともっと楽しいはず!
きっとそれが「伝える」ってことなんじゃないかな、と僕は考えています。
さて、君は何を「伝える」のかな?
藤井 将(ふじい すすむ)
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