護国寺の成り立ち
私達は、文京区の大きなお寺の「護国寺」の真光さんを訪ねて取材に行きました。護国寺は、江戸幕府の四代目の将軍の弟、五代目将軍の徳川綱吉が母の桂昌院のために作りました。護国寺は、昔は、薬草園だったところにお寺を建てたそうです。群馬県の高崎にある大聖護国寺の亮賢さんは、桂昌院の信頼が厚く、護国寺の最初の住職として招かれました。護国寺という名前は、すべての生き物の命が守られると言う意味です。
護国寺の広さは約15000坪ぐらいです。もともとは5万坪だったそうですが、歴史のなかで護国寺の広さはどんどん減っていきました。ひとつは、天皇家の身内の人の墓地ができたことにより、最初より狭くなりました。また、陸軍墓地がありましたが、大東亜戦争の後なくなりました。
護国寺とお仕事
お坊さんのお仕事はいろいろあって、位によっても違うそうです。護国寺のお坊さんの主な仕事は、瞑想、式、行事、パソコン、お寺の管理などをやっているそうです。行をする時は、朝は4時に起きるそうです。いつもは、起きたら、お堂を開け、自室の掃除をするそうです。
護国寺は夜になってもお寺の門を閉めません。なので、24時間いつでもだれでも境内に入ることができるのです。その中でも朝の9時から夕方5時までが人の集まりやすい時間と言うことでした。
外から見ただけではわからないお寺の生活、特にお坊さんがたくさんのお仕事に関わっていることが、わかってよかったです。
取材/真理・有香・のぞみ・るね・絢帆 文/るね
文京区大塚5-40-1
☎ 03-3941-0764
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